現代人に多い側頭葉の緊張

現在人に最近側頭葉の緊張による、胆経と三焦経の相侮が多く見受けられる。
最近の頭推按ではほとんどがその証である。特に最近急激に増えてきている。この原因は研究中である。

相侮は緊張が行きすぎた状態、すなわち相乗の状態のブレーキとして働く。もうこれ以上緊張が行きすぎないように、緩和によってブレーキを掛けようとする。しかし、奥深い側頭葉の緊張によるものであるから、奥から表面近くまでは強固に緊張を解かないので、表面だけ必死に開こうとしている状態で有る。
経穴を触ると、表面がひくひくとしている。最悪の状態で有る。開いたときに点穴を奥に進めていく。
このような場合は明確に、胆経と三焦経において、経穴の出入り口(表面)が著しく緩和していて、奥に行けば行くほど強固な緊張がある。
この場合になるまで、本人の生活は以下の経過をたどっている。

まず、側頭葉に蓄積している、古い記憶が人間の考え方や拘り、生き方を形成する。
主に交感神経を使用する後天的人生観であるから、至って社会的で元気である。
人付き合いが良く、社交的になる。そしてそれを価値として生き抜いている。

このような場合、まず経穴の陰陽を計る。
陰の場合は、もちろん経穴は表面から奥まで全て緊張している。脅迫的観念で元気な状態で有る。
社会性と元気を価値観として保持しておかないと不安になる状態である。
主に身体は高血圧や、心疾患、肝炎、胃潰瘍、便秘、腫瘍や癌などの交感神経系疾患を伴う。
経過として、この緊張が極度に達すると、緊急避難として緩和に向かおうとする。
一挙に元気がなくなる。元気がなくなったことに対する、側頭葉の深層意識による脅迫的不安で、同時に不眠やいらだち、より強い拘りが生まれ、より元気を求める。これは全て側頭葉の深層的意識の問題である。
この場合の経穴は、表面のみが緩和されている。しかし奥は緊張のままである。
その緊張が優位であるので、一時期を過ぎると表面の緊張を取り戻す。また元気になる。
次に、また元気に疲れるから、緩和に移行するという繰りかえしになり、強固な緊張状態を形成していき、肝経と三焦経は心身に大きな緊張を生み出す。体内では、交感神経系の病が進むことになる。本人は至って元気であるが、絶えずどこか疲れる。また心底は楽しくない。
この場合の頭推按は、まず、経穴の内部を緩和して表面を閉じる。
内部の緩和の状態で、陰陽術を施す。古い記憶による生き方や考え方に囚われない生き方と、元気になどならなくても良いという、また社会性も必要ない、楽しいと本当に思える状態で生きることをすすめる。
また、本質的生命脳である「泥丸」の活性化を狙う。深層の先天的元気を生み出す任脈と督脈の経穴を徹底的に緩和する。ここが緩和されている場合は、比較的胆経三焦経の緩和は容易である。しかし、ここが緊張状態の場合は、もっと深い問題がある。愛情饑餓などの根本的不安であるから、問題が大きい。証を計るのは他の経絡と同じである。表面が開いていて奥が緊張している場合、表面が閉じている場合は相侮、全部が閉じている場合、開きすぎている場合は相乗。
胆経と三焦経に陰の相侮が現れていても、任脈と督脈が相生の状態にあれば、その活性を施し、胆経と三焦経を正常に戻すこともできる。問題がどこにあるかが重要である。

陽の場合は、先天的元気である。三焦経と胆経には何の緊張も、飽和もない。この場合は、元気であること、社会性などに何の拘りも強迫観念もない。その他の経絡の問題を解決する。

陰の場合の三焦経と胆経は頑固である。唯一後天的生命を司る経絡である。側頭葉に蓄積されたスーパーイド(超自我)は現在社会を生き抜く為の船である。自力で海を泳ぐ能力は督脈と任脈にある。すなわち視床下部などの泥丸である。動物脳の部分である。船が沈むのを深層でとても恐れている。
動物脳の経絡が活性化されていれば、側頭葉の後天的意識はそれに包括されるものであるが、その側頭葉の意識を生命の中心におこうとする意識が、経絡の緊張を生む。表面が開いている場合は、相当な緊張の後である。

表面が開くまでの緊張の行きすぎは、主に泥丸にある。動物脳にある純粋愛情や本能の部分の緊張である。
大体の場合は、この督脈と任脈にも緊張がある。

そして、それを理論や思考で解決しようとする場合は、膀胱経が緊張するのである。
膀胱経が緊張し始めると、膨大な新皮質に蓄積された知識依存が始まる。多くの本を読んだり情報を収集する。
もとの社会的、後天的元気を取り戻す方法を知識的に模索する。
頭推按はこれらの緊張を緩和する。
鍼灸や整体と同じ、緊張を緩和したり、調整したりする術である。
根本的な生き方や精神、生活を改善しないとまたすぐに元の状態に戻る。
鍼灸のぶり返し、整体のぶり返しは、鍼灸と整体の依存症になる大きな引き金である。絶えずやっていないと調子が出ないのは、すなわち耐性ができている。
頭推按も同じく、いくら経穴の緊張を取り、脳内の状態を改善しても、本人の人生観が変わらない限りは同じ事を繰り返す。
頭推按の場合は、太極拳の内丹の一部であるから、総合的に太極拳をすすめる。そして毎朝、太極拳の導引法を行う事を条件とする。でないと何も改善しない。
その意識が無い限りは、頭推按はその場限りの整体のようなものに過ぎない。しかし、頭推按は証を計り、その状態からの問題点を明確にする。その問題点の解決は日常の生活である。その意識に芽生えたら、緊急を要するなら毎週。そしてゆるやかな問題であれば一ヶ月ほどの間隔で頭推按により、その問題解決を脳の活性化の促進により手助けする。
このようなことができないのであれば、頭推按も所詮対症療法である。便秘を治したに過ぎない。同じような生活や人生観のままなら、また便秘になる。
しかし、頭推按は内丹仙術の一部である。内丹仙術は総合厚生術である。
根本的な問題解決の発見を促すための脳の活性化であり、脳の活性により、本人が人生観をもって解決することができるようにするための、特殊な技術である。
頭推按の後に陰陽術を施し、太極拳の導引法を毎日必ずやるように伝える。導引法を行っていれば、頭推按による脳の状態は維持される。そして、その陰陽術が脳の意識の深部に浸透する。
深部に浸透した陰陽術が本人の意識を変革すれば、成功である。
その場合必ず、新たな予約が入るか、太極拳に没頭する。しかし、そうでない場合は、残念だが、導引法を怠った結果であろう。
せっかくの頭推按の効果を導引法で維持し、絶えず活性化された脳で、意識の呪縛から解放される先天的な生命観を発見して欲しいものである。
武当派の点穴術は道教の寺院で長い歴史に培われてきたものである。多くの経験と実証により、殺法と活法を確立している。
実際に精神を左右することのできる術である。毎日寺院に閉じ込め、監視できてこそできるものであるが、現在においては本人の自覚に頼るところが大である。
我が太極拳クラスに通う人は、一週間に一度状態を見ることができるが、それでも片手落ちになる。
本来は毎日導引法を行わせ、状態によっては太極整体や頭推按を施す。これが理想である。
しかし、門下の中にはしっかりと自分で毎日導引法を行っている優れたものもいる。その人達から、頭推按をやった方が良いですかと質問されても、すでに必要のない場合が多い。
門下が大きな問題に突き当たり、現状で打開できない事により、脳に緊張が生まれたとき、頭推按が役立つ。
一時的な解放緩和である。だれにでも、超えられない大きな問題がある。陰(かげ)である。
頭推按はその陰をすこし動かすだけのことである。陰に光が差し込み温かくなる。それだけである。
光源は自らの内の深くにある。そこまで筋を通す技術が頭推按や導引法である。

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